#005 遊佐兆正氏 「仕事も鉄腕、草野球も鉄腕」P2




「名門、東海大相模へ」

遊佐氏

実はもともとは堀越学園に推薦で決まっていまして。

中学3年のときに、アメリカ合宿に行った際に仲良くなった友達から、「俺は東海大相模に行くんだ」っていうことを聞かされ、何だそこは?ってなりまして。 気持ちが動いたのは、「東海大相模は、昔っぽい野球ではなくて、社会人野球などの最先端の野球を教えてくれるみたいよ」というのを聞かされた時でしたね。 「お前が行くなら俺も行きたいな」ということになったのです、アメリカ帰りの飛行機の中での話です。 成田について両親が迎えに来てたのですが、到着後すぐに「俺やっぱ東海大相模行きたい」と伝えました。 当然、難しい状況だったのですが、僕は、「俺はもう相模(東海大相模)に行けなかったら野球辞める」とすねたらしく、近くのすし屋さんでなだめられてて(笑)

それでも「相模、絶対行きたい」「ここでやりたい」みないことをずっと言っていたらしく、結果、願い叶いました。(笑)

編集長

すねると相模に入れるんですね(笑)。 名門・東海大相模の練習が気になります。どんな練習をしていたんですか?

遊佐氏

アップしてキャッチボール、トス(バッティング)、フィールディング(守備練習)、最後はベースランニングが基本でした。

編集長

いわゆる私の(編集長)の時代は「気合・根性・ガッツ」だったのですが、名門高校野球部では技術的な指導がしっかりあったのでしょうね。

遊佐氏

はい。沢山技術指導をして頂きましたね。 特にバッティングはすごく教えていただきいたのですが、それ以外ではピッチャー心理なども教えて頂きました。どちらかというと、頭を使うことを教えてもらいました。

ちなみに、根性論はもちろんあって、それこそ先程、全体練習は簡単に言いましたが、それはそれでメチャメチャきつかったです。(苦笑)

編集長

全体練習は何時間くらいあったのですか?

遊佐氏

3時間くらいだったと思います。 1年生の時はキツかったですが、2年の時は全体練習そのものはそれほどキツくは感じませんでした。それよりも試合に出て結果が出せないことが最もキツかったので、結果を出すためにどういう練習をしたらいいのかを毎日考えさせられました。

あと、高校3年生の時に校長先生が変わり、その先生が今村先生といって『うそ発見器』を開発された方で、野球をされた事はないそうなのですが、2-3(ツースリー)からの考え方とか、人の心理をどうやってよむか、といった心理面を教えていただきました。

面白かったのが、就任のあいさつの時に普通は「本日から就任しました今村です」とかだと思うのですが、いきなり「アロハ~!」と言ったんですよ(笑) その時は何も言われなかったのですが、後で野球部の寮に見学に来た時に「あれはすごかったでしょ。僕の事も覚えたでしょ?これが大事なんです」と。 「だから、相手に遊佐さんをすごいバッターだと思わせることで相手は委縮するでしょ?そう言う事をすればいいんじゃないですか?僕、野球知らないですけど。」と仰っていただきました。

今思えば、根性論、技術論に加え、心理面も鍛えていたので、全国で勝ち上がれたのはそう言う部分で差があったのかもしれませんね。

編集長

高校野球を見ていると強豪校はチャンスで確実に打つ。弱いチームは打てない。その違いなんですよね。

遊佐氏

そうですね。 ただ、間違いなく予選などで対戦する相手には、「絶対にお前達より練習した。バットも振った。だから負けるわけがない」と思ってました。でも抑えられると、「あ、俺よりも練習したんだなぁ」と思ってましたが(笑) そこはアッサリと切り替えないとダメなので(笑)

編集長

その当時は(神奈川県下の)ライバルはどこだったのですか?

遊佐氏

桐蔭(桐蔭学園)と横浜(横浜高校)ですね。 相性も良くなかったので、勝てないと思ったのはその2校でしたね。 変な話、関東大会、甲子園などに出ても、桐蔭と横浜の方が強いと感じましたね。逆にそのライバル2校が強かったからこそ全国で戦えたのだと思います。

実は、在学中、オープン戦も含め、負けたのが甲子園決勝(第64回 選抜高校野球大会・対帝京高校)、神奈川の春・夏・秋の予選、春の関東大会で通算5回しか負けたことがないのですが、甲子園決勝の帝京高校を除いて、残りの4敗は神奈川県の3校に負けたんです。

編集長

東海大相模時代の思い出は?

遊佐氏

チームメイトと過した時間につきます。 実際に甲子園に出場し、準優勝できたこともうれしかったですが、それよりもあの仲間たちと野球が出来たことが本当に良かったと今でも思ってます。 最後の夏の大会に負けたときに、泣いたんですが、実は負けた悔しさよりも、この仲間ともう(野球が)出来ないと思うと、、、辛かったですね。

だから今やっている草野球もクラブチームも「今の仲間が楽しいから行く」が基本でして、、やはりチームメイトだと思いますね。


「そして、社会人から現在へ」


編集長

そして、遊佐さんは社会人野球(日石石油)へ進み、現在は草野球をやられてます。今までの(経験の)貯金で野球をやっているのか、あるいは、今でもさらに学んでいるのか教えていただけますか。

遊佐氏

貯金もあると思いますけど、今でもやりながら学んでいる部分もありますね。 やっぱり技術も進化し、道具もどんどん進化しているので、その時代に合う合わないかを見極め、調整していかなくてはいけないですね。 バッティングフォームも今と昔とは全然変わってますし。

編集長

我々は、高校時代でもプロ野球の選手のモノマネでフォームを作ってました。 名門・東海大相模の選手はそんなことないですね(笑)

遊佐氏

いやいや、同じです。高3の時は、誰も気づいていないですけど、実は石毛さんと古田さんのモノマネを自分の中ではしてましたね。それが僕のフォームの基本です。

編集長

練習中ではなく、実際の試合でもそれを意識してやってたんですか?

遊佐氏

はい。意識してやってました。 最後の予選は古田さんを意識して、甲子園の時は石毛さんをイメージしてました。全然似てないんですけど(笑)

社会人の時は、先輩のすごいバッターがいたので、その人のマネというか見て学びました。 そして合う人、合う人のいいところを入れてやっていましたね。モノマネは基本ですよね。

編集長

日本石油時代の思い出を教えていただけますか?

遊佐氏

全日本メンバーでいうと、徳永さん、若林さん、大久保さん(現ENEOS監督)、高林さん、坂口さんなど、そうそうたる全日本クラスでしたね。日石の時は、33人メンバーがいたのですが、33人中、7人を除いて元日本代表とか現日本代表(当時)とか、オリンピック銅メダル、銀メダルとか、そんなチームの中に入っていたのですごいチームでしたね(笑)


「野球スタイル」

遊佐氏

僕は10打数10安打打ったら嬉しいですけど、チームが勝てば10打数0安打でもいいっていうタイプなんですよ。 本当にそれだけでいいと思う方なんですよ。

草野球でもそうなんですけど、日本石油でも、東海大相模でもチームが勝ってくれれば僕は打てなくてもいいなと。 ただその中で打てないなりに相手を苦しませることを考えてはいますけど。

選手としては打てた方が嬉しいと思いますけど、僕は、例えば後ろに副島 孔太がいたら、草野球でも2-3(ツースリー)まで粘って、彼に少しでもいい条件で打席を回してあげようかなと思う方なんですよ。

編集長

ちなみに副島さんは草野球でも打ちますか?

遊佐氏

打ちますね。 無茶苦茶打ちますね(笑) 腰が悪いんで、良し悪しありますけど、僕が3番で彼が4番で、彼が打った方が確率が上がるので、僕はフォアボールでも塁にでて彼に繋ぎたいですね。とにかく意識しているのは、塁に出ること。

編集長

草野球でもやはり「勝つ」ことを目標にしてますか?

遊佐氏

いい野球がしたいですね。 この日、野球やっていてよたなぁー。と思えるような。

編集長

「いい野球」とは具体的には?

遊佐氏

試合が終わった後に、「あの時のプレー、よかったよね」というチームの会話がどれくらい沢山話せるかじゃないですかね。

今やっている草野球チームや鉄腕硬式野球部とか、また日本石油とか、相模なども、そういうことをずっと話をしていていましたね。

編集長

遊佐さんにとって野球って何ですか?例えば野球なくなったら?

遊佐氏

野球なくなったらキツいですね(笑) まだ僕、36歳ですけど人生の根幹というか、すべてが野球に紐付いて生きている感じですかね。 (野球は)人生そのものですけど、これからも野球と向き合えている自分が40歳、50歳になった時にどうなっているかと思うとワクワクしてきますね。

編集長

まだまだ現役を続けますね?

遊佐氏

色々と仕事が忙しく、辛いなーとか、やりたくないなーとか思って球場に行くと、人生の先輩たちが、僕よりも仕事を沢山やっているのに、「オシ、やるぞ!」っていって張切ってやってるんですよ。 それを見るとまだまだ疲れたとか言ってられないなと思いますね。

僕も、「遊佐さんはあんなオッサンで、太ってて、それでも野球やってるから俺らもやるしかねぇな」と若い人に思われる人になりたいですね。(笑) 「俺だってやってるんだから、やれよ。」と背中を押してあげたいですね。

インタビュー/荒木重雄(編集長) 写真/福田清志






 

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