2011年スペシャルインタビュー【桑田真澄氏】:第二回「野球を辞めたい」から3ヶ月後に甲子園全国制覇。


この記事は2011.01.28にteams前身サイト草野球オンラインのに掲載されたものを再掲載しております

第二回:「野球を辞めたい」から3ヶ月後に甲子園全国制覇。




編集長

桑田さんは、中学校の時に、将来はPL学園、早稲田大学、そして読売ジャイアンツにいくという目標を立てられた。そして目標どおりにPL学園に入学されました。そこまでは順調にいったのですか?

桑田氏

僕は4月1日生まれなので、同じ学年でも実質1年ぐらい年の違う友達と一緒のクラスにいるわけです。でも、小学校低学年の1年間はすごく差が大きく、入学した時に勉強が難しく感じて以降、自分は勉強は向いていないと思い込んで諦めてしまったんですね。

それもあって好きだった野球は一生懸命やろうと。ただ、小学校時代は辛かった思い出しかありませんね。3年生の時点で6年生のチームに入って練習していたんですが、先輩のシゴキがすごくて辞めたいと思っていたんです。ただ、「辞めたい」ということも怖くて言えない状態でした。

ある日、練習を休んだんです。そしたら、たまたま監督が仕事の都合で休みだったのか、チームの6年生が集団で家までやってきて「桑田ー!なに休んどんじゃー、練習来んかい!」という具合で自転車に2人乗りして20人ぐらいでやって来るわけです。3年生の僕は、もう怖くて怖くて。

結局その後、チームを変わって、ボーイズリーグの八尾フレンドに入りました。そのチームは同学年でプレーするので先輩からのシゴキなどはなかったのですが、今度は監督が怖くて怖くて。僕はキャプテンをしていたのですが、皆プレーでミスをしたら殴られる。当時キャプテンだった僕は特に連帯責任ということでもっと殴られる。顔がアザだらけになったら、今度はノックバットでおしりにフルスイングされる。いつも練習帰りの自転車は立ち漕ぎでした。

編集長

そして中学へ入学。そこではどんな野球をやったのですか?

桑田氏

中学に入学すると1年生の夏に、エース番号をもらったのですが、今度は2年生の先輩に、練習前に校舎の裏につれて行かれて、ふとももの横を思いっきりひざで蹴られる。自分がピッチャーで投げたいので後輩に暴力を振るうわけです。そういった体験の中で強く心に決めたのは「早く上手くなろう!」ということでした。

そして、上手くなるためには総合力が必要だと感じ、とにかく上手くなるために必死にいろんなことを貪欲に吸収しようとしました。そのタイミングでうまく勉強もやり始めて、分析力、判断力も少しずつアップし、成長期に技術と共に「上手くなるコツ」みたいなものを掴んでいったように思います。

そうして最後は、大阪ではほとんど打たれない自信もつき、ある意味自信満々でPL学園へ入学したわけです。




編集長

「上手くなるコツ」をつかんでの高校野球。入部いきなりで結果を出しましたね。

桑田氏

いやいや、それが実は挫折感からのスタートだったんです。正直、中学で活躍できたことで自信を持ってPL学園に入学したわけですが、そこに(同期の)190cm級の清原君、田口君がいて。。。カラダの大きさにも圧倒され、こんなに体格のハンデがあったら「ムリ」だと思ったんです。

そして、くじけそうになり母親に「もう辞めようかと思っている」と打ち明けたこともありました。すると母親から「絶対あきらめちゃだめ。補欠でもいいから3年間PLで投手をやりなさい」と言われ、もう一度自分として何ができるか考え抜いた結果、今まで以上にバッターの傾向とかクセとかを分析すること、総合力で勝負すること、しかないと思ったのです。

編集長

クセを分析する。具体的にどんなクセを見抜いたんですか?

桑田氏

よく観察しているとバッターは面白くて、バッターボックスで「よっしゃー!桑田かかってこいやー!」というように気合を入れてスイングした後、一瞬無意識に自分が狙っているコースをチラッと見るんですね。一瞬だけど、必ずバットをかまえる直前に目線を送る。そして、僕のカーブを待っている時は、目でボールの起動を描くわけです。

「なるほど!見つけた!」と思いましたね。相手は気合満々で、勝負を挑んでくるのですが、目線が何をしようとしているか教えてくれる。キャッチャーだけでなく、バッターもサインを送ってくれている(笑)

だから、カーブを待っているバッターに高めのストレートをポンッと投げると、期待通り打ち上げてくれる。そういった観察を通して分析しながら投げていたので、ストレートとカーブの使い分けだけでも打ち取れる自信を持って甲子園でも戦えました。そして結果的に全国優勝までいけたのだと思います。

編集長

桑田さんほどの球威とキレのあるカーブであれば、「三振」に拘りそうですが、「打ち取れる」とおっしゃいましたね?

桑田氏

三振だと、最低でも3球投げなきゃいけないじゃないですか(笑)

高校野球のスケジュールはとにかく連投するんです。だから、こちらとしては肩が壊れないように早く試合を終わらせたい。つまり、できるだけ投球数を増やしたくないわけです。だから、できるだけ初球で打者を討ち取るための方法を常に考えていました。

編集長

でも、あえて打たせてアウトをとるのは三振より難しいですよね?一歩間違えれば、火傷もする可能性もあります。

桑田氏

確かにその危険性もあります。 でも、僕は何がなんでもプロ野球選手になりたかった。当時甲子園で優勝した投手は大成しないというジンクスもあったのですが、あれは投げ込みすぎて肩を壊したり、燃え尽きたりする選手が多かったんだと思います。だから僕はどうすればケガをせずに連投できるかを必死で考えた結果、それはいかに省エネ投法で打ち取りに行くかという考えに繋がっていったんです。

夏の甲子園は地区予選を勝ち抜くには、4連投、甲子園で優勝するためには3連投、とてつもない過密スケジュールで投げ続けなければいけないのです。だから、自分の肩や肘を壊さない為にも必死で考え、技術を磨き、体を守り抜いたのです。

編集長

PLの練習は相当厳しいイメージがあります。相当投げ込みとかもあったのでは?

桑田氏

投げ込むだけが練習でないことは感じてましたし、休ませることも必要な練習だと感じてました。こんな話もあります。

夏の甲子園にベストコンディションで臨むため、1ヶ月間ノースローにしようと思って、当時の監督であった中村さんにキャプテンと一緒に言いに行きました。もちろん「きさま!なめてんのか!!」となるわけですが、中村監督がすごかったのは、最後には「信用しているぞ。頼むぞ!」と認めてくれたんです。

僕はさきほど「自分はたいした選手ではない」と言いましたが、それは単なる謙遜ではなく、小学生、中学生の時に僕よりもすごいピッチャーを何人も見てきました。しかし、残念なことにみんなケガで壊れていくんです。正確には「潰された」と言った方がよいかもしれません。これは少年野球の悪しき伝統が影響していると思います。よいピッチャーだから余計に監督が使う。そして、勝てないと「もっと練習しろ!」となってどんどん練習量が増え、酷使された結果、ケガで壊れていくわけです。

試合前は特に万全な状態で試合に臨むために気をつかいました。 相手チームはPLとの戦いだからといって、試合日までに気合を入れて練習しまくってくる。何千回も素振りして、何百球も投げ込んでくるわけです。でも僕は試合日から逆算して、投球数を減らすなどして、試合当日にベストコンディションへ持っていくことを意識していました。

高校生とはいえ、やはり無茶をすれば疲れも溜まりますし、ケガもしやすくなります。相手は練習しすぎで疲れた状態。それに対して僕はベストコンディションで試合に臨むことになる。実力が均衡していてもどちらが勝利の可能性が高いかは明白ですよね。


第三回 「常識を疑う」ことで得た理論。



 

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