1日3試合をこなした草野球プレーヤー時代
編集長
名人は自らも草野球をやられていたそうですね。
名人
はい、15年間。最初は、家の近くの同年代の者とやっていたんです。 小学校のグラウンドを借りたりしてね。 終戦後にね、雨後の筍のように草野球の色んなチームができたんです。 ものすごく増えたんです。 それからしばらくして会社の野球チームに入ったんです。
編集長
そのときのボールっていうのは?
名人
軟式です。 今の形状じゃなく、今の軟式より少し小さくて、ちょっとギザギザになったようなものです。 グラブは革。闇市で買いにいったんですよ。
編集長
どれくらいのペースで草野球をやられていたんですか?
名人
日曜日は1日3試合です。 勝ったり負けたりという感じです。 同じ相手とダブルヘッダーする時もあるし、それからまた違う相手とかね。 やっぱり野球好きだったんですね。 私、一度月曜日に42度くらい熱を出したんですよ。 近くの医者に来てもらって、肺炎って事でペニシリンを打ってもらったんで土曜日になってやっと熱が下がったんですよ。 月・火・水・木・金の5日間はほとんど寝てて、土曜日になってちょっと起きだしたんです。 その日曜日、友達にユニフォーム貸したる、野球道具一式貸したる言うてグラウンドに行って3試合やったんですよ。おふくろにそれがバレてね、ものすごく怒られましたけど、そこまでやったんです。 連体感も、もちろんですけど、それ以上に言葉では表現できない何か、野球へのなんだろう、そう、なんか惹きつけるものがね。 無我夢中、我を忘れて、集中して皆と一体感を持ってね。
編集長
プロは目指さなかったんですか。
名人
あ、そんな気は毛頭なかったです。 その当時は、まさか自分がトッププロのグラブを作るなんて・・・想像もして無かったです。
野球とは「無我になれる」こと
編集長
名人にとって野球とはなんですか。
名人
難しい質問ですね。 野球とは「無我になれる」ということじゃないですかね。 私らが野球をやりだした頃といったら米も配給制やしね。 空き地にさつまいもを植えて、つるをとってごはんに混ぜるとかね。 アメリカ軍の払い先の豆かすとか、配給をご飯に混ぜて量を増やして食べている時代でしたから、いつもひもじい思いはしてたわけです。 今とは全然違いますね、食生活は。 そんなことを無我夢中で忘れさせてくれるわけですね、野球が。
“Dare to Dream”
編集長
アマチュアの草野球、本当に野球が好きで楽しんでいる人たちに、名人が言葉をかけるとしたら?
名人
そうですね、やはり殺伐とした世の中になってきていますからね。 やっぱり、夢というんですかね、夢を持って、夢に向かって、進む。アメリカ・ミズノの言葉でよく使う言葉なんですけど「Dare to dream」って言葉があるんですよ。直訳すれば、「がんばろうぜ」っていう意味にもなるらしいんですけどね。この言葉がものすごい好きなんですよ
編集後記:
インタビューの場所は大阪の某ホテルのロビーラウンジ。 終始和やかな雰囲気の中でのインタビューであったが、話題がグローブ作りになると、持参したミズノのビニール袋からイチロー選手のグローブを取り出し、「グラブがあったほうがわかりやすい」と、途端に名人の目に変わり、真剣勝負の解説をいただいた光景が印象的であった。 そして、「最終的に大事なことは、自分がいいグラブだと思うことでなく、選手からの評価がすべてである」と、おっしゃっていた名人の発言には、言葉以上の説得力があった。(編集長)
インタビュー/荒木重雄(編集長) 写真/鎌田真樹
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